悩み解決にはカウンセラーとの相性が欠かせません
あなたが心理カウンセリングやコーチングを受けて悩みが解決できるかどうかは、クライアントであるあなたとカウンセラーとの相性が非常に重要なポイントとなります。
カウンセラーである私がどのように生きづらさに悩み、どのような経緯で克服しカウンセラーになったのか。
そして、どのようなビジョンを持って活動しているのかを知っていただければと思います。
プロフィール
はじめまして
「本心を言葉にして思いこみを手放し、本来の自分を取り戻す」
心理カウンセラー・ライフコーチの小笠原裕太です。
私の人生は幼少期から苦難の連続でした。
・機能不全家族育ちでの幼少期からの生きづらさ、両親・友人からの拒絶
・成人後に突然襲われた心身の異常
・前途多難だったアダルトチルドレン・愛着障害の克服への道のり
アダルトチルドレン克服過程で知った理不尽極まりなく、心のやり場のない親子世代間でのネガティブ連鎖。
せめて人並みの人生を送りたいと、頑張っても頑張っても空回りばかりで現実は何も変わらない。
四面楚歌の人生でした。
こう書いてみると悲惨そのものなのですが、それと同時に得られたギフテッドもあります。
・人の目を気にして生きてきたからこその洞察力、先読み力
・理不尽な人生の仕打ちに抗ってきたからこその粘り強く諦めない力
・家庭崩壊や生きづらさの克服経験から得た脳と心の知識
これらを活かせるカウンセラー・コーチの仕事は私にとって天職です。
略歴
1980年
青森県青森市生まれ。
父親の仕事の都合で2~3年ごとに引っ越しをする生活。
友達が出来ては分かれる寂しい思いを繰り返す。
このころに祖父母は早くに逝去したので、祖父母の記憶はない。
1986年
小学校の入学式、クラス全員を前にして自己紹介ができず泣き出してしまうほどの内気少年だった。
とある学校では、転校初日からあからさまなヨソ者扱いを受け、この世界からの疎外感を知る。
学童期の大きな悩みはアトピーとぜんそくの発作。
深夜に救急病院に連れて行ってもらったりと、親に迷惑をかけている自分に罪悪感を覚え、治したいのに頑張っても治せない葛藤に苦しむことに。
親に迷惑をかけてはいけない思い込みがあった私は、ぜんそくの発作が起こっても言うことができず、片道3kmの通学をゼーゼー息を切らしながら登校した日もしばしば。
また、ひとつひとつにダメ出しをしてくる母親の地雷を踏まないよう、顔色を伺いながら良い子を演じることが多かった。ㅤ
1998年
18歳、ささいなことから友人といざこざを起こしてしまう。
その翌日から一斉にグループからシカトをされクラスで孤立。
同時期に親の離婚問題があり、母からは愚痴のはけ口にされた。
心の苦しみを誰にも相談できず、拠り所がなくなりついにはうつ状態に。
世間一般の青春とは無縁で灰色の学生時代。
成人式でも両親からの祝いの一言も皆無だった。
2001年
就職を機にこれまでの引っ込み思案の自分を変えることを決意。
少しずつ積極的な性格になっていく。
自分の意志次第で現実が変わることを実感した。
2011年
上役が責任放棄するなど組織として機能していないブラックな職場環境にもめげず、生きていくために仕事に励む日々。
日頃の熱心さが評価され、部門の責任者となる。
そんななかで私は、融通が利かない生真面社員。
いつの間にか社内では腫れもの扱いにされ、またも孤立。
2012年
仕事のプレッシャーや、周囲とうまくコミュニケーションがとれないストレスから、対人恐怖や強迫性障害が顕在化。
出勤前に血圧上昇や嘔吐におそわれるようになる。
また、家を出るときにカギがかかっているのか何度も何度も確認しないと気が済まない精神状態に。
そんなさなか、部下の態度にイライラしていたとき、ふと我に返りこれは母親と同じことをしているのではないか?と自覚し絶望した。
2014年
動悸や嘔吐を毎日するようになり、これまで見て見ぬふりをしていた生きづらさ克服を決意。
調べていくうちに、アダルトチルドレン・愛着障害を知り、これまでの人生の息苦しさに納得を得られた。
解消しようとカウンセラーを頼るも、ただ話を聞くだけの対応で現状は一向に変わらず。ㅤ
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途方に暮れるも、書店でふと目についた潜在意識の書籍を読みふけり、後にNLPに興味を持ちプラクティショナー取得。
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初めての大きな投資は1年間150万円のコーチング講座。
コーチングを学ぶことで行動を起こす自信はついたが、根底にある生きづらさは解消されず悶々とした日々が続く。
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閉塞感が続くなか、背水の陣で望んだ講座で自己受容を知り、親や他人から良しとされる自分しか認めていなかったことに初めて気づいた。
過去に親から叱られたり、恥をかいて傷ついた自分の本心や個性を心の奥底に封印していたことを理解。
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そして、どんな自分でも受け入れるセルフトークコントロールや本心の言語化ワークを半年間ひたすら実践し、絶対的な安心感の土台を育む。
その結果、どんな自分でも受容できるようになり、高い自己肯定感や自己信頼も獲得。
ありのままの自分を出すことに、心のブレーキが無くなった。
ついに、20年来のアダルトチルドレン・愛着障害の生きづらさを克服。
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この経験から
・日本のメンタルサポート体制や体系の認知不足、心の教育不足
・世間からの理解・協力を得がたい現状
・親子世代間での負の連鎖の理不尽さ
これらを心の底から実感し、
・過去の自分と同じ心の痛みを起こさない教育
・親子間の負の連鎖を断ち切る教育
・お互いが個性を尊重でき、生きづらいという概念が無い世界
をつくることを使命に掲げ、自己実現カウンセラーとして活動している。
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幼年期:住所を転々とし出会いと別ればかり
1980年5月に青森県で私は生まれました。
会社員の父、元銀行員の母と兄と弟。男3人兄弟の真ん中、我慢を強いられる調整役です。
祖父母は物心つく前に逝去。関わった記憶はありません。
「友達つくっても、どうせまた引っ越すんでしょ。」
子どものころを語るとき、真っ先にするのはいつも引っ越しのはなし。
父の仕事の都合で2~3年に1回のペースで引っ越しをしていました。
最終的に就職前までに9回住所が変わっています。
友達が出来ては別れるを繰り返しており、幼なじみや地元の友達は一人もいません。
初めは新しい土地に行く楽しみが勝っていたのですが、小学校半ばからはうんざりする方が多かったです。
人間関係の回避傾向はここで芽生えたのかもしれません。
学童期:生きづらさの種を植えられた
子供の頃から心の悩みが多く、世間一般で言う「のびのびと育つ」とは無縁だった気がします。
入学式のときのはなしです。
クラスの前で自己紹介のとき、私は恥ずかしくて泣いてしまいました。
その日の下校時に後ろから
「あのとき泣いていた子だー」
と笑われても何も言い返せなかったことを今も覚えています。
また、家にかかってきた電話をとったときに、緊張で声が出なくなるくらい内気な子でした。
別の小学校では、転校初日によそ者扱いの洗礼を受けました。
何もできない私を横目に、担任は助けてもくれません。
惨めな思いでしたが、立ち向かうことも親に相談をすることもできず、ただ我慢するしかありませんでした。
結局、ここの小学校では集団登校には1回も入らず、いつも1人で登校していました。
小・中学校時代:母のからの容赦ない暴言、いい子であることが私の存在意義
小・中学校時代の私は病弱でアトピーとぜんそくに苦しみました。
その時に母から言われた3つのことは、今も覚えているほど心の傷になっています。
「お前の肌は、お岩(妖怪)のようで気持ちが悪い。」
「明日までにぜんそくを治さないと施設送りにするぞ。」
「こんな高い吸入器を買ってやったのになんで治せないんだ。」
いま振り返ると親らしからぬ言葉の暴力ですが、当時の私は親の思いに応えられない無価値感、夜中にぜんそくの発作が起こるごとに救急病院に連れていってもらっていた罪悪感に襲われていました。
母から受けた仕打ちで忘れられないことがもうひとつ。
それは、突然起こるヒステリー。
18時の門限を1分でも遅れると、家にカギをかけられ3時間くらい外に放置されていました。
家のカギを開けてくれない母に
「お願いだから開けてよ」と
ドアをドンドンとノックしながら謝るも一切無視。
いつも、寂しい思いと夜の闇の恐怖に怯えながら、近くの公園のベンチでひとり泣いていました。
このように、母は何かと気に食わないことがあると、一瞬で心のシャッターを下ろし、実の子どもすら拒絶する人でした。
言うことのほとんども一方通行であり、こちらの言い分も聞かず親子らしい会話のキャッチボールはあまりなかったように思います。
これらの出来事から
「怒られたり拒絶されるくらいなら、自分が我慢した方が良い」
という自己犠牲心が強くなりました。
ぜんそくの発作がつらいことを親に言えず、3km先の学校までゼーゼーと息を切らしながら死にものぐるいで登校していた時期もありました。
過干渉な母とは対照的に父は子供に無関心。
いかにも昭和的な仕事人間で、平日の帰宅はいつも夜遅く。
もはや母子家庭のような状況でした。
さらに中学になると単身赴任となり、それ以後はほとんど係わりが無く、正直父とのエピソードを思い出せません。
夢は一流企業に就職すること
中学に入ると、母の過干渉が加速。
親に迷惑をかけるな。
いい大学を出て公務員か大企業に入れば一生安泰。
それが一番の幸せだと、いつも言われていました。
卒業文集の将来なりたい職業に「一流企業のサラリーマン」と書いていたほどです。
典型的な「機能不全家庭」であり「毒親の仕打ち」ですが、当時の私はそんなことはもちろん知る由もなく、親にとっての「いい子であること」が存在意義だと考えていました。
18歳:心が完全に壊れた人生史上最暗黒期
正直、語るのもつらい時期。
アダルトチルドレンを克服する直前まで、定期的に夢に出てくるくらいのトラウマとなる出来事です。
事件がおこったのは18歳のとき。
友人グループのリーダー格と些細なことで言い合いになり、翌日になると友達グループ全員から一斉に無視を決め込まれ孤立。
わざわざ聞こえるように陰口を言われても、立ち向かうこともできませんでした。
この影響で若者の集団を見るだけで反射的に恐怖感に襲われたり、後ろからヒソヒソ話が聞こえたとき自分の悪口を言われているんだという被害者意識に悩まされるようになりました。
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また、心をえぐられるようにつらかったのが、学校でペアを組むとき。
もちろん自分から組もうと言う勇気も言える相手もおらず、いつも1人か担任と一緒でした。
その度に「この世界から分離感」を強めてしまっていました。
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更に追い打ちをかけるように、親の不仲が顕在化。
当時の私は親元を離れ、学生寮暮らしでした。
1人の寂しさのあまり家に電話をするも、母の口から出てくるのはいつも父へのうらみつらみ。
ただでさえ心が壊れそうで助けて欲しいのに、母のネガティブ感情のゴミ箱にされていました。
そんな中であっても
「母だって大変なんだ。自分のことは自分でやらなければいけない。自分が我慢すれば良いんだ」
と心を殺して塞ぎ込むしか自分を守る手段はありませんでした。
心臓を無理やり止めるような我慢が長らく続き、ついにはうつ状態に。
とはいえ、うつという言葉が一般化されていない時代。
担任の教師からは根性なしと扱われ、茫然自失するしかありませんでした。
当時、私の唯一の心の安らぎは音楽を聞くこと。
逆境に対する反骨精神のメッセージから生きる力をもらっていました。
そのおかげか地に足の付いた精神が今も私の信念の根底にあります。
20代前半:容赦のない試練が続く
そして、青春とは全く無縁だった地獄の学生生活を卒業し、工場用装置のメンテナンス会社に就職。
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配属されたのは男だらけのマッチョな現場。
超過勤務や暴言があたりまえのブラックな環境にしごかれました。
1年も経たずに同期が辞めていくなか、帰る場所もない私はただひたすらに耐えて頑張るしかありません。
そんななか、特に私を悩ませたのは上司や顧客とのやりとりです。
母からの拒絶体験の影響からか、年上の人に対して過度に相手の顔色を伺いすぎて、いつも脳内がパニック状態。
【相手に迷惑をかけてはいけないと思っている脳内の自分】と
【思うように上手く表現できない現実の自分】の葛藤に苦しみました。
そして、そのあと勝手に始まる脳内ひとり反省会で自分責め地獄の日々でした。
20代後半:当たり前の人生すら送れない現状に絶望
キツイながらも仕事に慣れてきたタイミングで出張コースに。
そこで初めて月の半分以上は出張で、数ヶ月間の出張もあり、更に海外出張となると数年間は帰ってこれないと先輩に聞かされました。
同じタイミングで社内の不祥事があり、このまま居続けることに疑問を持ち出し転職を決意。
当時付き合っていた彼女が住む隣町の装置メーカーに転職しました。
とはいえ、メーカーと言えば聞こえは良いものの、所詮は地方のいち中小企業。
組織はほとんど機能しておらず、声の大きい人や古参の意見に右へならえで優先される環境でした。
そんな中でも頑張りを評価され、いち部門の責任者となりました。
しかし、ここからが真の試練の始まりだとは、当時の私はまだ知る由もありません。
昇進後、意気揚々と仕事に励んでいました。
ですが、もともと生真面目な性格もあり、当時は正論や決まりにうるさい人間でした。
そして、いつの間にか腫れもの扱いにされていました。
部下や同僚に頼み事や相談をしても、異常に遠慮がちであからさまに心の壁を感じさせる言動。
孤立…
また、1人になってしまった。
絶句するしかありませんでした。
とはいえ、私はやるべきことを頑張っている。
「真面目に仕事をしているのに、なぜこんな目にあわなければならないんだ!」
30代:人生変革の序章
腫れもの扱いの状態は変わらずも、生きていくため心を削るように仕事に行く日々。
つらくて、しんどくて、心が悲鳴をあげているけど、帰る場所なんてないのですから。
全てが自己責任の生き方の私と対照的に、周囲の人間のほとんどは地元から出たことすらないような実家ぐらしで親に甘えているゆとり生活。
他人に迷惑をかけてはならないと、孤軍奮闘で頑張っているのに、何もかもうまくいかずストレスまみれの私。
自分優先で適度に手を抜き、群れてばかりで楽しそうな周りの人間。
この世界はどうなっているんだ。。。
しかし、悲しいことでもありますが、孤立することは学生時代の一件から慣れていました。
ただ学生時代とは違い、現実から逃げるわけにはいかず、仕事をやりとげねばなりません。
責任者の私は、当然ながら調整のために他部署や部下とコミュニケーションをとらねばならないのです。
「どうせこの人からも、けげんな態度をとられるんだ。」
「頼んでも無視されるかもしれない・・・」
とめどなく湧いてくるネガティブな心の声を押し殺して、仕事を遂行していました。
しかし、そんな無理が長く続くワケがありません。
異変は出勤前にドアに手をかけた時に起こりました。
「う・・・」
突然の動悸や吐き気、そしてズキンズキンとした血圧の急上昇の襲われました。
このとき自分の身に何が起こったのか全くわかりませんでした。
その時は疲れてるな程度でやり過ごし相変わらずの無理をしながらの仕事をしていましたが、1ヶ月後に再発。
更にその2週間後、1週間後、ついには毎日と発作の感覚が短くなりました。
「流石にこのままだとヤバい。。。」
人生を変えることを決意しました。
いきなりつまづいてしまった
何か参考になるものはないかと、書籍を読み漁ってみたところ【アダルトチルドレン】という言葉を見つけました。
「もしかしてこれかもしれない。」
早速、カウンセラーをネット検索をしたところ、市内で1人見つかり思い切って依頼をしました。
しかし、そのカウンセラーは話を聞くだけで、その場では良いものの日常にもどれば生きづらさは全く変わらず。
前進している感覚が全く持てませんでした。
結局、行く気がなくなり、そのまま自然消滅。
「どうなっているんだ・・・」
期待していた分、落胆も計り知れませんでした。
しかし、人生は残酷なもの。
嘆いたり怒ったところで何も解決はしません。
「やっぱり自分でやるしかないのか。。。」
意気揚々と始めた克服への道でしたが、がっくりと肩が落ちてしまいました。
自己啓発に没頭の毎日
「この神のいたずらのような不幸の連鎖をどう断ち切れば良いのか」
「このままつらい人生を送り続けるのだろうか」
「いや、そんなの絶対に御免だ」
解決方法を見つけようと、またも書籍を読みふけったところ、まず目についたのは「潜在意識」。
「どうやらこの潜在意識とやらを変えると自分を変えられるらしい」
なんとなく理屈では理解できました。
しかし、具体的にどうしたら潜在意識を変えられるのかが、わからずじまい。
そんな時に、尊敬している人のブログで見かけたのがNLPという心理学講座。
「これで変われるかも・・・」
半信半疑で申し込み、半年間の講座を受講しました。
NLPでは確かに潜在意識や心の取り扱いについて学びを深めることが出来ました。
しかしながら、肝心の生きづらさを克服するには至りませんでした。
「あれ?おかしいな。別のアプローチが必要なのか?」
次に目をつけたのがコーチング。
潜在意識を書き換えることで、別人になれると言った触れこみだったと記憶しています。
10ヶ月で3桁万円の高額講座でしたが、ここまで来たからには背に腹は代えられません。
思いきって参加しました。
10ヶ月間本格的にコーチング理論を学び、そして実践することで自分の限界を外す感覚は得られました。
ですが、ふいに襲ってくる恐怖や不安がどうしても無くなりません。
結局、それらを振り切るように無理をすることでしか行動をおこせないのです。
また、その原動力は心の痛みの回避や欠乏感からの承認欲求でしかなく、根本的に生きづらさが解消されることはありませんでした。
「またダメなのか・・・」
私が心底求めているのは、対処的なテクニックではなく、生きづらさ問題を本質的に解決するための決定打。
それがどうしてもわからない。
五里霧中・七転八倒の先にたどりついた生きづらさ克服の秘訣
そんな状況を一変させたのが、背水の陣で望んだ別のコーチング講座で学んだ「自己受容」という考え方。
自己受容とはかんたんに言うと、どんな自分でもありのままに受け入れるということ。
ここまで来て初めて盲点に気づきました。
これまでは自分をないがしろにして、ダメな自分を変えよう変えようとスキルや能力を足すことばかりに意識を向けていました。
しかし、生きづらさの本質は親子関係から刷り込まれた歪んだ思い込み。
まずやるべくは、足すのではなく余計な思い込みを引くことだったのです。
ここに気づいてから、私の生きづらさ克服は一気に加速しました。
思い込みを解除する言語化メソッドを学び、幼少期からずっと放置していた心の傷と親にありのままの自分を愛してほしかったホンネを理解しました。
そして、本心を受容するセルフトークコントロールやノート1冊に渡る言語化ワークを続け、3ヶ月でありのままの自分でも大丈夫なんだという絶対的な安心感を獲得。
・無意識に気になっていた、他人の目がいつのまにか気にならなくなり自分の好きなことや言いたいことを自然にできるようになりました
・どんなときでもありのままの自分であって良いと心から思えるようになり、極端に緊張せず仕事での困難も日和ることなく立ち向かえるようになりました
・他人との心の距離感をとれることで、多少の言動では心にダメージを受けなくなり対人ストレスが大幅に減りました
・根拠のない大丈夫感覚が持てるようになり、多少のトラブルでは過敏に反応しなくなり「どっしりと構えていて信頼感がありますね」と言われるようになりました
・心の声を信頼できることで、迷いや葛藤での精神的なエネルギーロスが激減し、精神的なゆとりが持てるようになりました
本心を言語化し、受容することでこれまでのネガティブ感情からのストレスや自分責めからの生きづらさがウソのように楽になりました。
「潜在意識が書き換わるとはこういうことだったのか!」
これまでは自分に無理をして頑張るメソッドばかりをしても大きな変化を得られず、正直くじけそうにもなりました。
しかし、状況にあった適切な対処をすれば、優れた効果を発揮することを肌感覚で理解できました。
これまでの苦難と人生のゴールはつながっている
この大きな変化と同時に決意の心も芽生えました。
今なお過去の私のように生きづらさの解消方法を必要としている人にこのメソッドを届けたい。
そして、生きづらさという概念すらなくす教育をつくりたい。
私は生きづらさの克服に莫大なお金と時間をかけてきました。
ですが、適切な対処すれば大きなお金をかけずに、もっと短い時間で生きづらさを解消できます。
それに親子問題・アダルトチルドレン・愛着障害は、あなたの親が一概に悪者という訳ではありません。
世代間連鎖ということばにもあるとおり、その本質は不都合な価値観の押し付けが親子何世代にも渡って繰り返されていることにあるのです。
確かにあなたの生きづらさは、親から不適切な仕打ちを受けたことが直接の原因ではあります。
しかし、親を悪者扱いしているうちはアダルトチルドレン・愛着障害の生きづらさは絶対に克服できません。
この心の葛藤は当事者でなければ理解しがたいものですし、カウンセリングの書籍どおりにやれば回復するといったものではありません。
心の拠り所となる当事者のサポートが必要です。
私は幼少期から生きづらさを抱え、更に学生時代には孤独も経験。
13歳以降は父親と、16歳からは母との関わりもほとんどありません。
親から社会について教わることもなく、お金の援助も一切なし。
余計な失敗もたくさんしました。
普通の生活すら送れず、劣等感にまみれて惨めな思いをしたのは数知れず。
自分の身ひとつで擦り切れる思いでここまで来ました。
そして、生きづらさ克服のために、試行錯誤を繰り返し5年と400万円以上の投資をしてきました。
あなたはここまで苦労をする必要はありません。
頑張らなくても良いですし、気合や根性と言ったものも不要です。
ただ本心を言葉にして、思いこみを手放せば良いだけ。
それだけで、これまでのささくれ立った心の傷がふわっと浄化され、今までとは全く違う色鮮やかなあなた本来の能力を活かせる自己実現人生にレールチェンジできます。
他者からのサポートに抵抗がある方へ伝えたいこと
「相談したところで大して意味がないでしょう」
そう思われる方も居ると思います。
「自分のことは自分でやるべきでしょ」
そう思っている方も多いでしょう。
現に過去の私もそうでした。
しかし、結果的に私は大きな遠回りを余儀なくされた事実は、すでにお伝えしました。
当初の私はとにかく自分に無いものを足さねばと考えていました。
ですが、そんな私が本当に必要だったのは、そういった親の価値観の刷り込みを引くことだったのです。
私は足すことばかりにとらわれていて、引くという発想を持てなかったんです。
この現象をコーチング用語ではスコトーマ(心理的盲点)と言います。
要するに考え方にも必ず盲点があり、本人だけではそこに気づけないですよということです。
人は過去の経験をもとに決まったパターンで考え、行動しています。
マイナスの出来事を繰り返してしまうのもこのせいです。
このパターンを変えるには、自分自身で盲点に気づかなければなりません。
その気づきのためにカウンセラーとのセッションがあります。
また、カウンセラーから継続して受容体験を得ることで、あなたの自己肯定感は大きく高まります。
カウンセリング理論を知らない人からは、絶対的な受容を受けることはできません。
カウンセラーは、あなたの親よりもあなたを受容する唯一無二の存在。
そして、対人サポートの理論を学んだプロです。
もっと早く心理療法に出会っていたなら
私は生きづらさを克服するまでに総額400万円以上のお金と5年以上の歳月を投資してしまいました。
なぜなら、適切な道のりを知らなかったからです。
これを例えるなら、ガイドブックや現地のガイド無しで行く海外旅行のようなもの。
どういう道のりで行けばよいのか?
治安は良いのか?
危険ポイントはどこなのか?
まったくわからない状態です。
それって怖くないですか?
もう戻れないことを言ったところで意味はありませんが、
「適切な道のりさえ知っていれば、もっと早く生きづらさから開放されたのに」
と、私はすごく後悔しています。
お金はともかく貴重な時間を浪費せずにすんだはずです。
実際、クライアントの方からも、
「こんなにかんたんで良いのなら、もっと早く知りたかった」
という声を良くいただきます。
私はアダルトチルドレン・愛着障害の生きづらさ克服当事者として、同じような生きづらさで苦しんでいる方にはぜひセッションを受けていただきたいと思っています。
とはいえ、はじめの一歩はなかなか重いものですよね。
「いまの苦しみをどうにかしたいけど、不安や恐怖で一歩が踏み出せない」
このような心境かと思います。
ですが、あえて私は言わせていただきます。
「だからこそ、勇気を出して前に進むべきです」
不安や恐怖はこれまでの現状を変えようとする時に起こるもの。
逆説的に言うと、あなたはすでに現状を変えようとしているのです。
思い込みを変えることで、あなたの未来はドミノ倒しのように鮮やかに変わっていきます。
あなたは少し勇気を出して先頭のドミノを倒せば良いだけ。
アダルトチルドレン・愛着障害の生きづらさ克服の当事者・理解者である私が、あなたを100%受容しサポートいたします。
どうぞ、安心してご相談ください。
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「もういい加減、生きづらさをなんとかして、気持ちの良い充実した人生を送りたい。」
「だけど、カウンセリングを受けて何がどう変わるのかわからないし、誰を選んだら良いのか全然わからない。」
そんな不安があるあなたへ。
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